エストニア留学日記。

女子大生が送るきままな留学のお話。

4年間の大学生活終了のご報告。

お世話になっております。nakabeniです。

 

前の投稿から半年、そしてついに明日、4年間過ごした大学を卒業します!

そんなイマの感情を記し残しておきたくて、ブログを更新しております。

 

正直、1年半前からコロナによるリモート授業が定着したことと、3年後期、4年全期で受講しながら課外で様々な人と出会う機会が増たことで、大学への帰属意識が徐々に薄くなっていきました。そんな中で卒業式を迎えるために久しぶりにキャンパスへ訪れ、再び一瞬だけ大学に帰属することを考えると、改めて「やっと開放されるんだ...!」と羽ばたく気持ちになり、ワクワクします。

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「解放」に思うのは、16年間、学年が上がるごとに重い鎧をちょっとずつ脱ぎ捨てていく感覚です。一番鮮明に記憶に残っている出来事は、割と厳しい校則を持つ高校での進路指導の時です。私は、親の都合で海外から日本の高校3年生に春編入しました。担任教師から「まずはあなたがどんな人か知りたい」という意向でプロフィール記入用紙に自分について書き起こし、後日一緒にそれを元にお話しする機会がありましたが、「趣味」に「絵を描くこと・ピアノ」と記入した点で「これは必要ありませんね。」と、唯一自分の「個性」として好きだったものを「不要」扱いされて自分自身の存在をも否定されたような言葉がショックだったことが、今でも覚えています。教師がどういう節でそのように私に伝えたのか今でもわからないけど、その夜、自分の枕をびしょびしょにしながらいっぱい泣いた。

1枚鎧を脱いでまた少し自由になった大学環境では、そんな言葉も覆すくらい、「絵を描くこと・ピアノ」はさら大きな存在になっていました。思う存分、あの時書いた「趣味」を放出しました。手前味噌ですが、エストニア留学の時に毎週通っていた図書室にあるピアノを通じて作った友達と日を合わせてピアノレッスンをしたり、100人程集まったコンサートにジャズピアノやジャムセッションで参加させていただいたり。イラスト活動も、現地の学生団体や研究機関での図解イラストや、帰国後もラジオ番組で1年、毎週イラストを描く機会をいただきました。それらが作ってくれたご縁は、大学に敷かれた自由によって実現できたものだと思います。

 

大学に進学せず、早くに「人生最大の開放」を手にする選択もありますが、私にとっては大学を通い終えるまでそれを手にしない選択が合っていました。「学生」としてのセーフティネットがある分、足取り軽くいろんな機会に触れ、これから「社会人」として生きる将来を考える時間と知恵を4年追加で育むことができたからです。そんなバランスとタイミングが人それぞれにきっとあるはず。

 

私は4月から社会人になり、「人生最大の解放」を手に入れます。

もし、その開放の先に私ができる表現の幅をもっと増やし、寄り添い、1人でも多くの人をそっと笑顔にできる舞台が開けるのなら、私は希望を持って羽ばたいていきたいと思っています。

人生を、漕ぐ。

毎度ご無沙汰しております。

いつも、ご愛読ありがとうございます。nakabeniです。

 

エストニア留学が終了してから1年経ち、大学4年の最終学期が9月から始まりました。あと半年で卒業。社会人になります。

最近、「このブログ始めたての頃、どういう気持ちで書いてたかなぁ」と、久しぶりにふと最初に投稿した文章を見たのですが、、初々しい。まだ大学4年間の時間がなぜか永遠に続くと思っていたことも、このブログをエストニア留学を考えている方々に本当に届けたい一心で開設した思いも、鮮明に蘇ります。なんというか、過去の自分を愛おしく抱きしめたくなる気持ちになったゼ。。(照)

 

自惚れはこの辺にしておき、、今日はそんな私の留学後の就活話、この先の進路についてお話しいたします。先週、私のブログの読者さんと、エストニア留学について対話させていただく機会があったのですが、留学後のこれからについてもシェアできれば、何かしらお役に立てるんではないかなと思った次第です。ずっとお話ししようと思ってはいたんですけど、「今じゃない、今じゃない」と、どこかに終着する時を待っていたんですが、こんな瞬間を文字に起こすのも良いのかなって。

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結論から申しますと、私は今月、来年春に入社予定だった、大学1年生の頃から携わらせていただいた、本当に大好きな会社の内定(?)を辞退しました。

現在、就活でいう"持ち駒"もありません。というか、もともとなかった。でも、ここ半年、最高に幸せなんです。背後になって見えない人生を、自分の力で漕いでいるみたいで。

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2020年8~12月

"就活"を始めたのは、去年の8月。エストニアから帰国して、2週間自主隔離生活をしていた時でした。

将来のキャリアを考えることをずっと後回しにした結果、就活を機に現実と向き合った事で、未来に対して強い不安を感じたからこそ、手探りに会社説明会や22卒向けのインターンに応募したり、毎週のように先輩や大学の就活支援室に相談しに行きました。

 

本気で取り組んだ分、本当に素敵だと思える会社にもたくさん出会いました。だから、応募した会社は全て第一志望でした。自分にも、選ぶ会社にも嘘をつけない性格なので、面接の練習台として利用した会社は1つもなかったです。でも、"就活"という言葉だけで、身にまとうものから全て、マニュアル化されたレールに滑り込まざる負えない感覚は、魅力的な企業を見つけた時のワクワクを、押し潰すほどの失望感にまで駆られました。ポテンシャルを見て新卒採用していただける、ありがたい社会は、日本だけだと思う。でも、就活用バッグを探してて、「黒色でそれっぽい好みのデザイン」を手にした時、「いや、でも好印象には決まったこの就活用バッグで...」と、何度も店員さんにやんわり強要されたことなど、些細なことだけど、精神的に辛かったんです...。

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そんなこんなで、12月ごろから街でリクルートスーツを多く見かけ、就活が本格化するに反比例し、まともに就活の波に乗り切れなくなっていく自分の情けなさに毎日涙が出るようになりました。でも、振り返ると、ここが一つ大きなターニングポイントだったと思います。1週間、就活に関して頭を空っぽにして日々過ごした途端、「自分には、肌に合わない」と、本当にこれを境に何かプツンと切れたように、勝手に自分をはめ込んでいた"こうあるべき就活”をやめ、素直に気になっているものだけに、ポップに飛び込むようになりました。

 

それが、私は日本酒でした...。笑 

去年の7月から、日本酒の原料や製造工程やラベルの男臭さも、調べるたびに興味が湧いてきたのです。

2021年1~4月

最近では、地方の酒造も少しずつ就職・採用情報サイトに掲載していて、1dayインターンシップ等、酒造りの一部工程を体験させていただくプログラムをご用意していただいている会社もあります。コロナ禍ではありますが、現地に赴いて実際に対話させていただく機会は一生ものだと思い、1月に地方のある酒造会社が提供していた1dayインターンに参加しました。実は最初、定員オーバーで断られたものの、後に欠員が出たのか運良く行けることに...!!! 

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当日1dayインターンシップに参加していたのは、私ともう一人、京都から来た女の子。「一人一人と丁寧に対話したい」という醸造家さんたちの思いで、あえて少人数規模で開催しているそう。(そこがまた素敵...!!)新酒作りでお忙しい冬なのに、交代交代で醸造家さん達が蔵を案内したり、一緒に昼食をとったり、利酒講義をしてくださいました。

 

後日また、就活のために訪問しましたが、泣く泣く敗退。でも、ここで出会った醸造家さん達をきっかけに、日本酒に魅了された気持ちは本当でした。だから、その後も、調べた日本酒について絵で表現したり、三重県の酒造の会社説明会に応募して”就活”を身に纏いながらも、代表さんとお話させていただくなど、その後も活動は続けました。ただ、当時はいざ蔵人として就職したいという確固たる決意までは至れなくて、その思いにふと寄り添った瞬間、諦めきれない感情を持ちつつも、一旦酒造業界を見ることはストップしました。

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三重に足を運んだときに参拝した、天照大神を祀る伊勢神宮皇大神宮

2021年5月〜イマ

そして、「就活をもう、やめよう。」と吹っ切る気持ちにのって、大学1年生から所属していた、最近法人化した学生コミュニティに就職することを前提に、そこでインターンシップを始めました。もともと、日々の活動を通して、大学1年生の頃から今まで「ここに就職できれば、きっと楽しいだろうなぁ」とずっと感じていたので、幸せな決断でした。毎日、のめり込むほどにお仕事が楽しかったです。でも、デザインについてもっと専門的に知ってみたいと、7月から週1で他社でインターンを始めました。

 

毎週2社でインターンさせていただいたからこそ、自分のことも、内定先のことも、無意識に俯瞰していました。内定先で続けていたお仕事を心から楽しく打ち込んでいたのは嘘じゃない。ただ、私はこの会社とどこに向かいたいのか、自分自身が共に考えられなかったことに苦しみを感じていたのも本当でした。そして、これから先も、この感情はきっと消えるものではないだろう、と感じ、先日、内定を辞退しました。仕事が楽しいだけで私はもう恵まれているのは百も承知です。”仕事”って無限に楽しくなるもの、ということも教えてくれたのはこの会社でした。

 

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名著、「選択の科学」に記載しているホワイトホール研究では、「人々の健康に最も大きな影響を与えた要因は、人々が実際に持っていた自己決定権の大きさではなく、その認識にあった」と述べています。他の社員が幸せと自由を感じる職場も、自分にとってはそうでないことだってあります。誰だって、何に対して幸せと自由を感じるかは、本当に十人十色。

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現在はもう一方の会社でインターンを続けながら、生きてます。

でも、幸せだと思えるのは、自己決定権を感じながら、今を生きてるからだと思います。12月、悶々とした空気を吸って吐く毎日を断ち切り、醸造家に会った事やその後のインターンを通して、独走する恐怖心の中にも自分が築く選択にワクワクを見出せていたんだなと振り返ってそう感じます。

 

現在、日本の人口は約1億2600万人、大学の学生数は約290万人いるそうです(旺文社 教育情報センター (2020年11月2日)より)。それだけ、事象に対する捉え方・感情も様々だし、私たちが人生を漕ぐカタチも違って当たり前だと思うんです。漕ぐことを休んでもいい。気の向くままに、自分のペースを信じて漕ぐのが丁度いいのかなと。

そんなこんなで、現在の私に至ります。

 

(お役に立てたかどうかわからないのですが...。)最後まで読んでいただき、ありがとうございました!今日も、素敵な日をお過ごしください。

 

エストニア、タルトゥ大学、留学についてなど、、お気軽に質問してくださいね。

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いつかのランニング中に見た景色。 

 

サーレマー島の思い出。

お久しぶりです。ごきげんよう。nakabeniです。

前回の投稿から3カ月ぶりの投稿となってしまいました。毎回投稿を楽しみに待っていてくださった方々、大変お待たせいたしました。コメント等で、ありがたいメッセージをいただける度、今ではちょっぴり切なくも、鮮やかにエストニアの生活を書き記しておこうと思うのです。

 

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さてさて、今回は去年の夏、中国語のクラスメートだったエストニア人のカイリーと行った、一泊二日のサーレマー島(Saaremaa) ぶらり旅をご紹介いたします。

サーレマー島の思い出。

サーレマー島は、西に位置する、エストニアで一番大きな島です。クレサーレという、サーレマー島にある都市がメインの観光地で、夏はフィンランドバルト三国から訪れる観光客でにぎわう、人気なスポットです。

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タルトゥ (Tartu Coach Station) から クレサーレ (Kuressaare Coach Station) まではバスで6時間 20€ (2634円 2021年15月3日現在)です。途中、パルヌからムフ島の間フェリーでで移動する料金も含まれます。

今回は旅のお供に歌を紹介いたします。サーレマーワルツ(Saaremaa Valss )です。

www.youtube.com

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 1つ目はGeorg Ots ケオルク・オッツという音楽家フィンランド語で歌った曲です。サンクトペテルブルグ生まれの、エストニアで音楽知識を育み、ヨーロッパ各地で活躍されていたバリトン歌手ですが、エストニアソ連に併合されていた時代ということもあり、もともとは赤軍として軍事関連に携わっていました。この曲はフィンランドでも人気になり、多言語に翻訳されています。のびのびと長調に歌う彼の音声が入った、少し掠れ気味のレコードテイストが自分好み。

 

2020年6月27日 午前7時。タルトゥ中央駅にバスが到着。Kuresssaareまでは途中ViljandiとPärnuに停車します。去年の5~9月にかけては、1日の国内感染者10人未満の日がしばらく続いたので、その間は気軽に旅行したり、帰省することができていました。

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途中、Lääne県(Haapsalが県庁所在地)の南に位置するVirtsuという場所からフェリーでムフ島(Muhu island)までバスごと移動します。Muhu island はバスで素通りしてしまいましたが、その土地ならではの黄色いストライプ模様の伝統色が有名なので、い、いつか必ず行きたい...

2枚目はMuhu islandからSaaremaaへ渡る道路の様子。両島の間には平坦な1本の道路が舗装されており、両端は海です。長時間の移動で少々居眠りしながらも、この幻想的な景色に起こされました。この写真、残っててよかった...!!

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そして12時 kuressaareに着きました!(駅の写真を撮るの忘れた...最大のぴえん)市街地を散策する前にちょっと寄り道。Angla村にある、風車群を観光します。バスで約30-40分、本当に島を感じさせない。それもそのはず、Saaremaaは、saare(島)+ maa (国)で、島国という意味で、 エストニア国民も”島”とは見ていないようです。

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サーレマーを象徴するものといえば、黒パン、ビール、そして風車。昔、この地域では風車を小麦を引いて、黒パンを作ることに使っていたんだとか。外にある風車は、古いもので1880年、新しいもので1927年に建てられたそうです。かつては10基ほどありましたが、現存する数は5基。その1つは自由に中を見る事ができて、風車から遠くの地平線を見渡すことができます。観光客は私達2人。晴天の下、タイムスリップしたかのように、エストニア本来の風土を静かに感じます。これを幸せと呼ぶ。

 

kuressaareに戻ってきたら、まずはチェックイン。海沿いの住宅地にあるので、そこまで歩きます。泊まったホテルはKraavi Guest Hostelというところで、ツインルームで38€ (一人2500円程)。プライベートシャワーも完備してあったので、満足。窓から入る風が心地よく、少~しだけひと眠り。

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午後16時。kuressaareをお散歩。カイリーにとっても中学の修学旅行以来だそうで、彼女も新鮮な眼差しで散策していました。Saaremaa全体の人口は約3万人、うちkuressaareは約1.4万人。この島に住む半分の人口がkuressaareに集中しています。前回紹介したNarvaと反対に、サーレマー島に住む98%がエストニア人で、1.2%がロシア人で構成されており、エストニアらしいおとぎ話のような街並みが残っています。

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ここはクレサーレ城周辺。創立された年は不明ですが、書物に始めて記されたのは1381年。クレサーレ城はエストニアで最も保存状態が良い要塞で、14世紀~19世紀にかけて、デンマークノルウェースウェーデン、ロシアからの侵略を受けた歴史を持ち、北ヨーロッパでもっとも注目すべき要塞の1つだそうです。

そして、これが中心街。

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 素朴で可愛らしい建築と赤いペニチュアのコントラストが美しい。ゴシック建築を囲み賑わう西ヨーロッパのような雰囲気はないものの、まだ誰も知らない素敵な世界を発見できたかのような感覚です。

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夕飯は、イタリアンにすることに。レストラン街で学生にとってはどこも学生にとってリゾート価格ですが、比較的お手頃なお店を発見。 お互いペンネとパスタを注文。よろしければ、レストランのリンクを覗いてみてくださいね。(ちょいとケチった私たちは、帰りにスーパーで買ったケバブとデザートをまたホテルで食べましたとさ...。今度来た時は、カモロースの赤ワイン仕立てを食べに来るんだもんっ!)

Menu - Ristorante la Perla

 

夕食後はまたkuressaare城壁内を通り、kuresaare beach沿いを歩きます。23時になっても、太陽の光は沈みません。ひんやり、ふかふかな砂浜を裸足で走り回った感覚は今でも鮮明に残っています。

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サーレマーのお話、いかがだったでしょうか。

今回一泊二日の旅で、紹介できたところは限られてしまったのですが、少しでも興味を持てて頂けたら幸いです。

約10カ月ぶりの記憶を引き出して思った事...。

く~~っエストニア、戻りたいっ!!! 好きだっ!(((切実な思い)))

 

それでは今日も素敵な一日になったことを祈っております。

明日も皆さんにとって素敵な日になりますように。

 

質問、感想などお気軽にコメントしてくださいね。

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近所に咲いていたエストニアの国花 矢車草

 

私事ですが、Twitterを始めました。ゆる~り大好きな絵と、日本酒と、エストニアを呟いている...かも?

nana (@paints_nana) | Twitter

 

Narva旅行記。

お世話になっております。nakabeniです。

皆さんは2021年1月はどのように過ごされましたか?お体に気をつけてお過ごしくださいね。

nakabeniは、大学の期末試験とレポートの課題が今日でやっと終わり、大学3年生終了です。私の大学では、留学先で履修した科目のうち、ビジネス関連の科目のみ単位変換可能なので、帰国してからもいくつか授業を履修します。残るは10単位。がんばるにょ。

今日、スマホのストレージ容量がいっぱいになってしまい、やっと4000枚以上の写真を整理し始めてたら、寮生活のシュールな写真たちがたくさんでてきました。

1つ目。冷蔵庫の奥ですくすく育った玉ねぎ。寮あるある、”1つの冷蔵庫を6人シェアすると、誰の食べ物かわからない問題” で、ずっと放置され続けた玉ねぎちゃんを見つけ、中を見てみる。

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半分に切ってみてようやくわかった。玉ねぎはネギになるのか!() 育て続けようか迷いましたが、解剖後、美味しく頂きました。

続いて2つ目。

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換気扇の上に使い終わった瓶をコレクション(?)する者現る。ズラちゃん!犯人はオマエダ!! 笑 瓶を捨てる場所がわからなかったのか、ずっとここに置いていました。結局、彼女が帰国したあと、私が9kgの瓶たちを寮裏のごみ箱に捨てに行きましたが、面白かったので、捨てる前に一枚パシャリ。

 

さてさて、今回は去年の1月に訪れた、エストニアとロシアの国境、Narvaへの旅行記を書こうかなと思います。

一緒に行ったメンバーは、私、るね子、クーンの3人。るね子は私と同じく日本人留学生、経済経営を学んでる、ラテン文化好きのパワフルな女の子。クーンはオランダ人留学生。エストニアオタクで、エストニア語をネイティブレベルまで独学習得して、今はロシア語、日本語も学んでる、語学力に長けている男の子。生物学を専攻しています。f:id:nakabeni-life:20210131215745j:plain

Tartu coach station から Narva coach station まではバス約3時間、8~10€ (1000円~ 2021年2月現在)。まだ朝暗い8時に出発して、11時に到着。天気はエストニアの冬らしい、どんよりした小雨模様。

Narvaは、Tallinn、Tartuに次ぐかつては「バルト海の真珠」と称されるほど美しい街並みだった第3の都市。2024年の欧州文化首都はTartuですが、実はNarvaも最終候補まで残った街です。本当に、文化首都最終候補に選ばれるに等しいほど、特徴的で、おすすめスポットです。ここはエストニアの中でも、ロシア色が最も強く残る街。Narvaに住む95%がロシア系住民で、エストニア語は一切聞こえてきません。駅近くにあったスーパーやカフェも、ロシア語のみの表示が多い印象でした。

エストニア人の友人曰く、ここに住んでいるエストニア人学生も、ロシア語で授業を実施している学校に通っているのだそう。

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観光前に軽く済ませた昼食と買い物の写真がなく、唯一撮っていたのは夢中にお魚を見るクーン。それを見守る私とルネ子。「僕は生き物が大好きなんだ!!」とマイペースな旅の始まりです。なんだか、お魚と交信してるようにも見えますね...。

 

早速、バス停付近の住宅地にある、Narva coach station付近にあったロシア正教復活大聖堂に行ってみることに。

 

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ここは、1886年に設立されました。Narvaは第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、この教会は無事だったそうです。1996年、100周年を記念して大改装されました。タリンの旧市街にあるアレクサンダー・ネフスキー大聖堂と比べるとかなり小さく、外観に派手さはありませんが、内部はロシア正教の特徴である金色に輝くドームとなっていました。

お次は正教会付近にある、ルター派のアレクサンダー教会。サンクトペテルブルク出身の建築家、Otto Pius von Hippiusによって1881年1884年に建てられました。このシンプルな造りは、この以前Viljandiで訪れたルター派教会よりも厳かな雰囲気でした。

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この教会の管理人はとても親切で、日本にとても興味を持っていらしたことを覚えています。ロシア語での対応でしたが、ここはクーンの言語力の見せ所。英語に翻訳しながら、会話を弾ませてくれました。この時間のおかげで、天気でどんよりしてた気持ちが少し晴れた気がする。楽しかったです!

 

それでは、お待ちかね、ロシア国境沿いに行ってみましょう。

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このNarva川を挟んでの向かいに見えるのがIvangorod市。ロシアです。ソ連崩壊後、ロシア系住民の自治を求める運動があったことなど、エストニアで一番ロシアとの民族・歴史的論争を抱える地域から、私は少し暗い印象を持っていたので、ここに着いたときに皮肉にも"一番曇天の空が合う街”と感じた事を覚えています。

ロシアとNarvaの間では橋があっても、簡単に国境を越えられるわけではありません。EU圏外となり、ロシア入国に必要なビザ(E-visaなど)を取得し、国境検問所を通過しなければなりません。一年前、Narvaに旅行する前にTartuからバスでサンクトペテルブルグを訪れましたが、その際もバスに乗車した警察官が全員パスポートを預かり各検問所で2回取り調べを受けました。

目で見えるほど近くて遠い国なことを肌で感じられるスポットです。治安は思ったより良かったですが、人通りが極端に少なくて怖さを感じることはありましたし、アジア人は目立ちます。

 

実は1999年、Narvaにも、タルトゥ大学'(Narva College of the University of Tartu) が設立されました。

 

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ここでは市政学、地域研究、心理学、教育学がエストニア語、ロシア語、英語で開講されています。なんとも面白い形をした屋根はかつて第二次世界大戦で破壊された、証券取引所の建物を模倣したもので、Narvaの過去と現在を表しているそうです。

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中に入ったら、2階に続く階段にたくさんクッションが。二人とも疲れておねむです。奥の方にも一人すやすや眠っています。平和な写真が取れました。

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そこで一緒にティータイム。地下にカフェとオシャレなトイレスペースがありました。

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たくさんくつろいで、話していたら、あっという間に外が暗くなってしまったので、急いで最後の目的地、ナルヴァ城へ。

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暗い写真で申し訳ないのですが、奥に見えるのが、ロシア側のイヴァンゴロド城です。

700年以上の間、ナルヴァ城は他国の支配下にありました。もともと、13世紀にデンマーク王のお家として建てられたものでしたが、後ドイツ、スウェーデン支配下になった時代も、国境でロシアを牽制するための要塞として重要な役割を果たしました。第二次世界大戦で崩壊されてしまったので、14世紀ごろのお城の姿を再現するために1970~80年に修復されました。

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閉館間近でしたが、中に入ってみることに。中世使われたであろう剣と鎧の一部を身に着けて、二人ともご機嫌。最後は入館時にもらったコインと引き換えに、市旗のロゴが入ったストラップ(?)を頂いて、小雨の中バス停に向かってタルトゥへ帰宅。タルトゥに帰ってきて思いました。Narva面白かったけど、やっぱTartuが好きだ!!(笑)

 

長文の旅行記でしたが、いかがだったでしょうか。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 

ご感想、質問など、お待ちしております。一緒にお悩み解決していきましょう!

それでは、今日も素敵な一日をお過ごしください。

 

 

 

大晦日の夜に。

ごきげんよう。nakabeniです。

 2020年の最後の夜に、気の向くままにブログを書いています。

皆さんにとって、今年はどのような年になりましたでしょうか?

 

「今年も濃い一年だったなぁ。」と、毎年の大晦日にその年の出来事がふと、走馬灯のように浮かびます。2020年はコロナ感染拡大で生活様式が変わり、対面で人と会う機会は一気に減りましたが、今年も挫折した分だけ、幸せもたくさん感じた1年でした。

 

今思い浮かぶ、辛かったことは、今年のコロナ期間中のエストニア留学期間、留学の意味を見いだせていたか不安になったこと。帰国後、もやもやしながら就活を進めて、何度も自分を見失ったこと。

でも、コロナ期間中に新しく始めたグラフィックデザインや、ほそぼそと更新したブログが、振り返って自分自身の成長になったり、エストニアでいろんな方々と繋がるご縁を作ってくれました。帰国してからも、タルトゥの学生団体でデザインを担当させていただいたり。ブログを拝見してくださっている方からも、嬉しいコメントや質問を頂けるようになったのも、今年の大きな幸せの1つです。

就活に関しては、まだ少し、現在進行形な部分もあるけれど、2021年も自分のペースを大切にして一歩ずつ進んでいきます。

 

そういえば、12月は、「髪を切ると運気が上がる」という不思議な言い伝えを信じた月でした。

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12月は少しばかりブルーな気持ちになっていた自分を変えたい!!と思って、いつもお団子でまとめてた髪を30cmくらい切りに行きました。

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かなり量が減ったので、心なしか気分もリフレッシュしました。

その後、徐々に、”変わるために”髪を切ったことが背中を押してくれたようで、なんでもトライしてみようかな、と行動力がアップしたり、嬉しいことがちょこちょこ起こった感じがします。

新しくバイトを始めたり、ブログで嬉しいコメントを頂いたり、気になっていた企業のインターンの第一次選考に通過したり、以前から所属していた学生団体のつながりで、一部のラジオ番組をグラフィックレコーディングさせていただく機会を頂いたり...。年末年始ににかけてまた心が生き生きし始めています。

 

まだまだ言葉足らずなところがありますが、これからも日々感じた事を丁寧に言葉にすることを意識して、皆さんにシェアハピしていけるよう頑張ります。

 

それではみなさん、よいお年を!

2021年もnakabeniをどうぞよろしくお願いいたします。

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ハープサルの思い出。

ご機嫌麗しゅう。nakabeniです。

寒くなってきましたね~!

最近のnakabeniは、就活(?)や大学の残った単位履修に勤しんでいます。そんな今日、用があって東京行った帰りがけに、タルトゥでお会いした女性が描いたイラストの個展を開いている恵比寿にあるお店、Attachementさんに立ち寄ってみることに。それが、不定期営業とは知らずClosedとなっていて、少しばかり落ち込み。でも、中にスタッフさんがいらっしゃって、ドアをノックしてみると、「ちょうど開店するところです。」と、とっても優しい女性スタッフさん。

ほ、本当にお邪魔しますっ

 

店内には、エストニアから仕入れた可愛らしい雑貨がたくさんあり、エストニアのスーパーでよく販売されているSalvestの美味しいスムージーが!! なんと、日本とエストニアの架け橋となるような、事業展開をしているnext innovationさんとのコラボ企画だそう。よく、インスタでエストニアの魅力を深~くわかりやすく説明している投稿を拝見いたので、少し身近にいる気分~っと心が躍る。

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そんな店内では、スタッフさんとエストニア留学中の話でつい盛り上がってしまい、1時間弱店内にお邪魔させていただきました。そこでハープサル、Noarootsiの伝統柄のがま口財布を見せたときに、「今日はハープサルの旅行記をブログに書こう。」と思いつき、ハープサルの旅行記をお話しできたらなと。

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Noarootsi伝統柄の、がま口財布。タルトゥのお土産屋さんで購入。

 

2020年7月14日。本帰国一週間前にピアノ友達と一緒に行ったハープサル。タルトゥからハープサルまでは、約4時間。直行バスはないので、タリンで途中下車します。大体、片道料金は€15 (1895円)~€19 (2400円)くらい。(2020年12月4日現在)この時期はエストニアでコロナ感染が落ち着いた頃だったので、旅行によく足を延ばしていました。

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ハープサルは、エストニア国内の中で一番行きたかった場所。理由は、ハープサルがチャイコフスキーゆかりの地だからです。彼も、1867年の夏にここに訪れ、「ハープサルの思い出」というピアノ組曲を作曲しています。私はこの第三楽章「無言歌」が好きで、毎日のようにタルトゥ大学図書館のピアノでこの曲を練習していました。

もしよければこの曲を聴きながら、ハープサルの旅行記を読んでみてはいかがでしょうか..!! Itzhak Perlmanのヴァイオリン版も素敵です!!


Tchaikovsky: Souvenir de Hapsal, Op. 2, TH 125 - 3. Chant sans paroles


Souvenir de Hapsal, Op.2 (1995 Remastered Version) : No. 3, Chant sans paroles

 

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4時間後、ハープサルのバス停に到着。駅からもう素敵。ちなみにこの駅は、1904年に開業し、1995年に幕を閉じました。今では、ハープサル駅博物館となっています。

まずは、駅から歩いて10分くらいにある、Paralepa randというビーチへ。

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風が吹いていて少し寒かったけど、迷わず泳ぎます。驚きなのが、海水がしょっぱくなく、遠くまで水底が浅いため、遠くまで泳げること。海はきれい、小魚もすいすい泳いでて、気持ちよい。1時間半ほど、二人のんびり泳いだり、日向ぼっこしたり。

Paralepa randといえば、エストニアで一番有名なラッパー、Nubluの曲"öölaps!”という歌詞にも「君はParalepa randのようにホットだね」というように登場してきますが。私も言われてみたいですね!!

よろしければNubluをチェックしてみてください。


nublu - öölaps!

 

駅から中心街までは15分程。少し歩きます。

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城壁が見えてきたゾ..

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これがハープサル城。13世紀に作られたもので、8月の満月の間に、白い乙女が礼拝堂の内壁に現れるという伝説があります。

そしてそのすぐ近くにあるのが、ハープサルの市庁舎博物館。

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ハープサルの歴史、魅力を知ることができます。基本説明はエストニア語でちんぷんかんぷんでしたが、英語で書かれた小雑誌を読むだけでも参考になりました。ハープサルは昔、サンクトペテルブルグから訪れる観光客の間で、人気なリゾート地だったようです。

 

市庁舎近くにとった一泊二人28€(一人14€(1770円)や、安い...)でとった宿に荷物を置いたら、Promenaad海岸沿いに行ってみましょう。 

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海が鏡のように凪ぎ、幻想的な風景。この週は、安定した温かい晴れの日が続いていたので、たくさんきれいな写真を撮ることができました。昼間は厚い雲がかかっていましたが、夕日のタイミングでお日様が出てきました。 

実は、ハープサルの街には、海沿いぎりぎりまで、ぽっかり穴が開いたように丸い大きな湖があります。写真だとわかりにくいのですが、これが湖↓ 上空から撮ると、その一望が分かるのですが...。初めてドローンを買いたいと思った日であった。

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22時。夜は寒い寒いと言いながらも、夕日が沈んでいくのを、スーパーで買ったスイーツを食べながら見つめます。

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そして23時。まだ向こうに見える夕日と、日付が変わっていく瞬間に儚さを感じつつ、ホステルに戻ります。

 

こんな感じで、一泊二日のハープサル女子旅は幕を閉じたのでありました。

一学期に履修していた、"Estonia and Estonian"という、エストニアについて包括的に学ぶ授業でHaapsaluという場所を調べて、チャイコフスキーとゆかりがある地と気づいてから、ず~っと行きたかった場所に、最後、晴れの日に旅行に行けて最&高でした。

エストニアはもちろんタリンやタルトゥが観光名所ですが、ハープサルも訪れてみてはいかがでしょうか!!

 

それでは今日はこの辺で。

最後まで見てくださってありがとうございました!!今日も素敵な日をお過ごしください。

 

エストニア、タルトゥ大学、留学についてお気軽に質問してくださいね。一緒にお悩みを解決しましょう~

タルトゥへの留学をおすすめしたい理由!!

忘れた頃にやってくる。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。ごきげんよう。nakabeniです。

 

今週、大学の留学オンライン説明会で、体験談を話す機会を頂きました。そこで改めて、多くの人にエストニア留学の良さを伝えたいな!と思い、ブログでも留学生活を振り返りながら、皆さんに「タルトゥ市への留学がおすすめな理由」を共有できればなと思います。

 

それでは行ってみましょう!

 

 

 

なぜタルトゥ市への留学がおすすめ?

私はタルトゥ大学のSchool of Economics and Business administrationに在学していました。タルトゥには、The university of Tartu(タルトゥ大学)、Tartu Maaulikool (エストニア・ライフサイエンス大学)、Tartu Aviation Academy (タルトゥ航空アカデミー)などがあり、特にライフサイエンス大学も生命科学を学びに来た留学生がたくさん在籍しています。そんなタルトゥ市で感じたおすすめの理由は大きく分けて3つあります。

  1. 生活費が安い
  2. 国際性
  3. 正規学生、留学生の質

 

1.生活費が安い

寮費、公共交通機関、食費、通信費、などとても良心的な値段です。

寮費

1か月の寮費は大体正規学生で150€(18,537円)、留学生で€230(28,428円)です。これは日本の大学の寮費と同じくらいでしょうか。

ちなみに、タルトゥ大学が提供する寮は複数ありますが、留学生向けの寮は、Raatuse22のみ選択可能です。 

詳細はこちらのホームページから見る事ができます。↓

Home - Tartu Üliõpilasküla

 

公共交通機関

タルトゥ→タリン(バス・電車ともに2時間半くらい)は€6~€12(732円~1400円)です。学割やキャンペーンもありますので、時には€4で行けたりすることも。

タルトゥ市内バスでは、一時間の乗車が83セントです。さらになんと、たまに無料バスも運行しています。タルトゥの中心街からバスで30分ほど離れた、湖のきれいなÄksiまでの乗車が無料とは。バスでたくさんいろんなところに行ってみたくなっちゃいます!

 

タルトゥのバス料金の詳細はこちらで確認できます。↓

タルトゥ市バス案内: Ticket Prices | Tartu linn

 

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Äksiの湖。水が透き通ってて、水底も浅いので、奥の方まで泳げます。お魚もすいすい泳いでいます。

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よくエストニア国内旅行でお世話になっていたLux Express。

 

こちらが国内旅行でよく使っていたサイトです。ご参考までに。

電車案内: Home | Elron

バス案内: Piletid sinu teekonnale

 Travel Europe by bus and buy bus tickets online - Lux Express

 

食費

破格とまではいきませんが、野菜、果物、乳製品は特に安いです。

キャベツは1kgあたり€0.39 (47円 2020年10月29日現在)、袋詰めのニンジンは1kgで€0.59 (72円)、リンゴは1kg €0.59~€1.50 (72~183円)、牛乳1リットル120円。

 

などなど。詳細は以前書いた記事でご覧いただけます。

nakabeni-life.hatenablog.com

約1年分の食費と娯楽費(国内外旅行、クラブ、お酒など含む)を割ったところ、1日の食費+娯楽費は€13でした。

 

通信費

これに関しては破格です。

エストニアのキャリアは、Super, Tele2, Zen, Elisaなどがありますが、中でもSuperは、1GB あたりの通信料が78円~、SIMカード代金€1+€8で、15GB使えちゃいます。

私は、タルトゥ大学では入学説明会の時にプリペイド無料で配布されたZenのSimカードを使っていました。プリペイド式なので、面倒な契約はありません。1か月プラン(Mサイズ)で8GB、€7のサービスを利用していました。今考えれば、Superが一番良い選択だったけど、Zenでも日本の通信料と比べたら安いです。

 

私が使っていたZenと、おすすめのSuperのサイトを添付しております。

Zen: https://www.zen.ee/en

Super: https://www.super.ee/en/avaleht

 

2.国際性

 タルトゥ市には100以上の異なる国籍を持つ学生さんたちがタルトゥ大学で学んでいます。なので、タルトゥに留学中、世界中の友達を作ることができちゃいます!!もちろん生活はエストニア語が話せなくても、英語だけで生活することができます。ESNという、ヨーロッパの留学支援団体が主催するイベントはほぼ毎週のようにあり、月ごとにカラオケ、Beerpong、異文化理解、Jam Sessionなど、大体無料(たまに€1~2ほどの参加費)で参加できます。

 

また、エストニアで最もエストニアらしい雰囲気を感じるのもここタルトゥ。エストニアで一番の大学を目指し、地方からエストニア人学生も多く集まります。なので、エストニア人の友人から聞いた話、エストニア語を聞く機会は、もしかしたらタリンより多いかもしれません。(あくまでも個人的な見解です。)

 

3.正規学生、留学生の質

全体的にタルトゥ大学の教育水準はとても高いと思います。

正規学生、交換留学生ともに真面目な方が多い印象です。エストニア留学は、海外から見てもマイナーな留学先だそうです。その理由だからか、自分の専門分野が明確な学生さんたちがモチベーション高く学問に専念しています。

経営経済、IT分野を専攻している学生さんが特に多かったイメージです。エストニアはスタートアップや、デジタル社会として有名ですので、彼らにとってエストニアは最適な学び場だと思います。

また、特に正規学生は、彼らが専攻する分野への探求心が強く、活動的です。学部から得た知識をインターンシップやスタートアップイベントなどでアウトプットしている話をよく聞きますので、互いに高め合う環境が常に整っていると思います。

 

国際的で活気あふれる小さな街で、学生の本業である学問を、レベル高い学生さんたちと学び合えるなんて魅力的な街...!!!

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

それでは、今日も素敵な日々をお過ごしください。

 

エストニアに関するお話、留学など、お気軽に質問してくださいね。一緒にお悩みを解決していきましょう!

 

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7月15日 午後11時。タリンにて。