エストニア留学日記。

女子大生が送るきままな留学のお話。

Narva旅行記。

お世話になっております。nakabeniです。

皆さんは2021年1月はどのように過ごされましたか?お体に気をつけてお過ごしくださいね。

nakabeniは、大学の期末試験とレポートの課題が今日でやっと終わり、大学3年生終了です。私の大学では、留学先で履修した科目のうち、ビジネス関連の科目のみ単位変換可能なので、帰国してからもいくつか授業を履修します。残るは10単位。がんばるにょ。

今日、スマホのストレージ容量がいっぱいになってしまい、やっと4000枚以上の写真を整理し始めてたら、寮生活のシュールな写真たちがたくさんでてきました。

1つ目。冷蔵庫の奥ですくすく育った玉ねぎ。寮あるある、”1つの冷蔵庫を6人シェアすると、誰の食べ物かわからない問題” で、ずっと放置され続けた玉ねぎちゃんを見つけ、中を見てみる。

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半分に切ってみてようやくわかった。玉ねぎはネギになるのか!() 育て続けようか迷いましたが、解剖後、美味しく頂きました。

続いて2つ目。

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換気扇の上に使い終わった瓶をコレクション(?)する者現る。ズラちゃん!犯人はオマエダ!! 笑 瓶を捨てる場所がわからなかったのか、ずっとここに置いていました。結局、彼女が帰国したあと、私が9kgの瓶たちを寮裏のごみ箱に捨てに行きましたが、面白かったので、捨てる前に一枚パシャリ。

 

さてさて、今回は去年の1月に訪れた、エストニアとロシアの国境、Narvaへの旅行記を書こうかなと思います。

一緒に行ったメンバーは、私、るね子、クーンの3人。るね子は私と同じく日本人留学生、経済経営を学んでる、ラテン文化好きのパワフルな女の子。クーンはオランダ人留学生。エストニアオタクで、エストニア語をネイティブレベルまで独学習得して、今はロシア語、日本語も学んでる、語学力に長けている男の子。生物学を専攻しています。f:id:nakabeni-life:20210131215745j:plain

Tartu coach station から Narva coach station まではバス約3時間、8~10€ (1000円~ 2021年2月現在)。まだ朝暗い8時に出発して、11時に到着。天気はエストニアの冬らしい、どんよりした小雨模様。

Narvaは、Tallinn、Tartuに次ぐかつては「バルト海の真珠」と称されるほど美しい街並みだった第3の都市。2024年の欧州文化首都はTartuですが、実はNarvaも最終候補まで残った街です。本当に、文化首都最終候補に選ばれるに等しいほど、特徴的で、おすすめスポットです。ここはエストニアの中でも、ロシア色が最も強く残る街。Narvaに住む95%がロシア系住民で、エストニア語は一切聞こえてきません。駅近くにあったスーパーやカフェも、ロシア語のみの表示が多い印象でした。

エストニア人の友人曰く、ここに住んでいるエストニア人学生も、ロシア語で授業を実施している学校に通っているのだそう。

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観光前に軽く済ませた昼食と買い物の写真がなく、唯一撮っていたのは夢中にお魚を見るクーン。それを見守る私とルネ子。「僕は生き物が大好きなんだ!!」とマイペースな旅の始まりです。なんだか、お魚と交信してるようにも見えますね...。

 

早速、バス停付近の住宅地にある、Narva coach station付近にあったロシア正教復活大聖堂に行ってみることに。

 

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ここは、1886年に設立されました。Narvaは第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、この教会は無事だったそうです。1996年、100周年を記念して大改装されました。タリンの旧市街にあるアレクサンダー・ネフスキー大聖堂と比べるとかなり小さく、外観に派手さはありませんが、内部はロシア正教の特徴である金色に輝くドームとなっていました。

お次は正教会付近にある、ルター派のアレクサンダー教会。サンクトペテルブルク出身の建築家、Otto Pius von Hippiusによって1881年1884年に建てられました。このシンプルな造りは、この以前Viljandiで訪れたルター派教会よりも厳かな雰囲気でした。

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この教会の管理人はとても親切で、日本にとても興味を持っていらしたことを覚えています。ロシア語での対応でしたが、ここはクーンの言語力の見せ所。英語に翻訳しながら、会話を弾ませてくれました。この時間のおかげで、天気でどんよりしてた気持ちが少し晴れた気がする。楽しかったです!

 

それでは、お待ちかね、ロシア国境沿いに行ってみましょう。

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このNarva川を挟んでの向かいに見えるのがIvangorod市。ロシアです。ソ連崩壊後、ロシア系住民の自治を求める運動があったことなど、エストニアで一番ロシアとの民族・歴史的論争を抱える地域から、私は少し暗い印象を持っていたので、ここに着いたときに皮肉にも"一番曇天の空が合う街”と感じた事を覚えています。

ロシアとNarvaの間では橋があっても、簡単に国境を越えられるわけではありません。EU圏外となり、ロシア入国に必要なビザ(E-visaなど)を取得し、国境検問所を通過しなければなりません。一年前、Narvaに旅行する前にTartuからバスでサンクトペテルブルグを訪れましたが、その際もバスに乗車した警察官が全員パスポートを預かり各検問所で2回取り調べを受けました。

目で見えるほど近くて遠い国なことを肌で感じられるスポットです。治安は思ったより良かったですが、人通りが極端に少なくて怖さを感じることはありましたし、アジア人は目立ちます。

 

実は1999年、Narvaにも、タルトゥ大学'(Narva College of the University of Tartu) が設立されました。

 

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ここでは市政学、地域研究、心理学、教育学がエストニア語、ロシア語、英語で開講されています。なんとも面白い形をした屋根はかつて第二次世界大戦で破壊された、証券取引所の建物を模倣したもので、Narvaの過去と現在を表しているそうです。

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中に入ったら、2階に続く階段にたくさんクッションが。二人とも疲れておねむです。奥の方にも一人すやすや眠っています。平和な写真が取れました。

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そこで一緒にティータイム。地下にカフェとオシャレなトイレスペースがありました。

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たくさんくつろいで、話していたら、あっという間に外が暗くなってしまったので、急いで最後の目的地、ナルヴァ城へ。

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暗い写真で申し訳ないのですが、奥に見えるのが、ロシア側のイヴァンゴロド城です。

700年以上の間、ナルヴァ城は他国の支配下にありました。もともと、13世紀にデンマーク王のお家として建てられたものでしたが、後ドイツ、スウェーデン支配下になった時代も、国境でロシアを牽制するための要塞として重要な役割を果たしました。第二次世界大戦で崩壊されてしまったので、14世紀ごろのお城の姿を再現するために1970~80年に修復されました。

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閉館間近でしたが、中に入ってみることに。中世使われたであろう剣と鎧の一部を身に着けて、二人ともご機嫌。最後は入館時にもらったコインと引き換えに、市旗のロゴが入ったストラップ(?)を頂いて、小雨の中バス停に向かってタルトゥへ帰宅。タルトゥに帰ってきて思いました。Narva面白かったけど、やっぱTartuが好きだ!!(笑)

 

長文の旅行記でしたが、いかがだったでしょうか。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 

ご感想、質問など、お待ちしております。一緒にお悩み解決していきましょう!

それでは、今日も素敵な一日をお過ごしください。