エストニア留学日記。

女子大生が送るきままな留学のお話。

コロナの影響 その2。

皆さま、ご無事でいらっしゃいますか。nakabeniです。

現在、エストニアコロナウイルス感染者数は369人となり、著しく増加しています。

 

前回の投稿でもお伝えしました通り、外務省がヨーロッパ全域で感染症危険レベルの引き上げをしたことにより、エストニアがレベル2になってしまい、エストニアも原則帰国しなければならない国の対象になってしまいました。

 

以前は今後どうするべきなのか、明確にお伝え出来なかったのですが、

日本の大学の国際センターに問い合わせたところ、保証人の同意を得たうえで現地滞在することを承認するとのことでした。

私は、両親と、もう一人の同じ大学から来た協定留学生のとも相談し、今のところ引き続きエストニアに滞在することにいたしました。

 

(ですが、この記事を投稿しようとした今日の朝、エストニアの感染危険レベルが引き上げられ、レベル3となり、再度国際センターから帰国の勧告をいただきました。)

 

タルトゥで今のところ買い物騒動は一切見ないし、片道のフライトの便だけで20万円するし(普段なら5万円~9万円程)...。それから、感染拡大しているのに東京に行って遊びに行ったり、旅行したり、カラオケ、カフェなどお店が開いている日本がちょっと大丈夫かなぁ...。と思います。そのような光景はSNSにアップされた写真でよく見る身近な出来事なので、あまり公にして言うべき意見ではないと思いますが、言わずにいられない。

 

 3月24日現在のエストニアコロナウイルス対策としては、スーパー、薬局、銀行支店、通信機器サービス小売店以外のお店は基本的に締まっており、また外は1人で行動し、人とは2メートルの距離を保たなければなりません。

 

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気分転換にお散歩。天気は晴天続きですが、旧市街はさらに人を見なくなり、閑散としています。みんな大好きなカフェCrepp、他のカフェ同様ほとんど閉店中。

 

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最近は仲良くなったポーランドのお友達と一緒に近場をランニング。完全インドア派の私、これがエストニアに来て初めてのランニング。7kmちょい走ることができました。その子は日本にとても興味があって、毎回話が絶えず、楽しく走っています。でも、もう一緒に走ることは当分ないのかな...。

 

昨日はフラットメイトと一緒にカードゲームで夜遅くまで遊んでいました。

アルメニア人のフラットメイトは占いをすることができます。彼女自身で恋愛占いで遊んでいたみたいなのですが、結果は、「いつまで経っても彼女に男は現れない」。悲しい現実を突きつけられたようです。

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オンライン授業以外は、一日一度は必ず外出して日を浴びたり、フラットメイトとの時間を大切に過ごすようにしています。

 

今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

みなさんのご無事を心より願っております。

COVID-19の影響。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。nakabeniです。

皆さんご存じの通り、コロナウイルスの感染はヨーロッパ各地、エストニアにも強く影響が出ております。

 

先々週あたりに2,3人見つかって、「まだ大丈夫だろう」とクラスメートや教授の方々もおっしゃって安心していたのも束の間、3月12日にタルトゥ大学医学部生が感染していたことを発表、現時点ではエストニア国内感染者数は225人、タルトゥは12人です(3月17日、午前10時)。

首都タリンのHarju県が73人、サーレマー島のSaare県が57人とこれら2つの県が主に感染拡大している模様です。

 

外務省の感染症危険情報が発表するページで、エストニアはレベル2まで急に引き上げられたことにより、日本の大学からも帰国を示唆するメッセージをいただきました。

 

私のチェコのルームメイトは既に帰国。もう2人アメリカ人の子も近々帰国する予定。ちなみに彼女は焦って帰国したので、寮においてある彼女の荷物は他のフラットメイトと一緒に片づけて彼女のもとへ配送します...。焦んなや。

 

正直、急すぎてううむ.....。帰りたくねぇ

 

これからは、E-learning、カリグラフィーの練習、ブログの更新、最近エストニアで流行りだしたけん玉を友達に教えたりして過ごす予定なのですが、どうなることやら。

 

エストニアは今日から国境封鎖、タルトゥでは数日前から大学施設はもちろん、図書館、カフェ、博物館、プール、サウナ、文字通りスーパー以外は全て閉鎖されます。

 

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皮肉にも、タルトゥは快晴が続いております。

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ここは2月から新しくできた大学施設(Delta)のカフェテリア。普段ならたくさんの学生さんや教授で賑わっている共同エリアも、開講最終日は閑散としていました。タルトゥ大学は、先週金曜日が教室での最後の授業で、5月1日までE-learningが始まります。

 

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これからスーパーの様子を見に行ってみましょう。途中のこの道も普段なら、みんな登校や散歩でたくさん人が歩いているのですが、今では悲しい雰囲気が漂う。

 

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スーパーのCoopでは、トイレットペーパーや消毒剤などの買い占めなどの様子は見られませんが、お肉、生鮮食品は品薄状態が今後も続きそうです。ただ、そこまで困った状況に追い詰められているわけではありません。今のところ。

 

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大体のカフェは閉店していますが、GustavとWernerという大学近くの創業125年のカフェは続いている模様。環境を変えて、1人で気分転換。宿題を済ませます。寮だけにいると、頭もさえないし、勉強のモチベーションも下がってしまいます。

 

この時期、日本へのフライトのチケットは片道20万円以上するものしかないし、帰国しようにも金銭的にも精神的にも大変です。 

 

 

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最近の雲の様子。綺麗。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

みなさんも、体調に気を付けてお過ごしくださいませ。

 

これからもし、帰国が確実になったとしても、これまでのエストニア、ヨーロッパ旅行記や日々の生活の様子など、まだまだ伝えきれていない情報を、皆さんにお伝えできればよいなと考えております。これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

エストニアの独立記念日。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。nakabeniです。

 

2月24日はエストニア独立記念日102周年でした。

今回はそんな独立記念日のイベントの様子をお伝えいたします。旅の続きはまた後程。

 

私は先日、カフェで知り合ったフィンランド人のタルトゥ大学の学生さんと、エストニア語を勉強していて、私のブログよ読んでくださっている日本人の方と一緒にタルトゥの独立記念日イベントを見に行きました。

 

2月24日、午前9:15。最初のイベントは青い空の下、カレヴィポエグ像の前に集合。

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カレヴィポエグ(kalevipoeg)とは、1862年、クロイツヴァルドとフェールマンによって書かれた国民叙事詩です。エストニアの独立意識を高めるのに貢献された伝説の英雄、カレヴィポエグの冒険談を描いたエストニアの神話です。

 

この像の前で演説されている方は、国防軍の方。(ちなみに、エストニアには徴兵制度があります。)その周りを囲む様々な三色帽子に旗旗を掲げる学生団体(EestiÜliõpilasteSelts, EÜS) です。この学生団体は1870年に設立され、長い歴史があります。1940年にソ連エストニアを占領した後、全ての学生団体は禁止されましたが、1988年、学生会はタルトゥに再設立されました。

彼らが被っている帽子が欲しくて、いろんなお土産店を回りましたが、非売品。エストニア人の大学生で1年生から学生団体に入っている人だけがもらえるらしい。タルトゥ大聖堂に売っているのは見たけど、20€以上したし、観光客に販売しているものだから、買うの迷うなぁ。

 

次にみんなが向かうのはトーメの丘にある展望台。

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大人も子供も参加しています。

一点気になったことですが、私達が式典を見ている時、エストニアの国旗をみんなに配っている学生さんを見ました。フィンランドの友達が私に伝えてくれたことなのですが、彼らが配るエストニアの国旗の裏には"Isamaa"という文字が描かれていました。Isamaaとは、エストニア語で”祖国”という意味です。エストニアには、祖国党という政党があり、ちょっと問題視されている党の1つらしく、だから配っているその旗を受け取らない方も多くいるのね。また後で説明いたします。

 

最後のイベントは、ラエコヤ広場でフォークダンスを踊ります。

みんなで民謡を歌って

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踊って

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最後は一般の方も参加して、一緒に踊ります。

私もご一緒させていただき、とっても楽しい時間を過ごしました。

 

午後1時。タルトゥのバス停に向かい、これから私の新しいルームメイト(アメリカ人2人、アルメニア人2人、チェコ人1人)と日本人のお友達と一緒にタリンまで向かいます。タリンでは軍事パレードが行われるみたいだから楽しみだなぁ。イベントは6時に自由の広場で行われます。

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それまで一緒にタリン旧市街を観光

のはずが、

会場は、なんだか様子がおかしい。

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覚えている範囲ですが、ここで配っていたエストニアの旗の裏に描かれたのは、

「EESTI EEST!」「Eesti Konservatiivne Rahvaerakond (EKRE)」と書いている文字。EKREとは、エストニア保守党という意味。つまり、この6時から21時までは反EU、移民排斥を掲げている極右政党を支持する人々が松明を持って街を練り歩くというイベントでした。トランプを支持することを書いている大きな旗を揚げているかたもいらっしゃいました。

移民排斥を掲げる中に外国人の私達がいるというなんともカオスな状態。私たちは配られた松明を火を灯す前にすぐ返し、近くのバーでタルトゥ行きのバスをみんなで待ちながら楽しくお話をしました。 

 

軍事パレードは13時に終わっていたらしく見れなかったけど、エストニアの右翼政党の支持が高まっているという状況を肌で感じることができたのは、貴重な経験だと思います。ただ、ちゃんと調べずに多くの人が参加する、という情報だけでみんなとタリンに向かったのは本当に危ない行為でした。。ほんと反省。(本当に、特に何もなく無事に帰ることができて良かったです。)

ちなみに、そのイベントの様子の記事が掲載されていますので、リンクを張っておきます。↓


今年、大統領を招待して独立を祝った場所はViljandi (タルトゥからバスで小一時間くらいのと場所)。「エストニアはタリンだけではないよね。」と、毎年違う県で独立を祝うみたいです。最近始まったみたいで、去年はタルトゥだったそうです。

 

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バーから外に出てみると、大勢の人が旧市街を練り歩いています。

このアクシデントで、少しエストニアの政治に興味を持ったので、調べてみました。

 

エストニアの主な政党はこんな感じ。

上の二つ中央党、改革党の中道左派・右派を軸にした構図でした。

しかし、 2019年12月31日のERRの記事によると、2019年、ほとんどの党がメンバーを失う傾向に逆行し、保守党(EKRE)の会員数が増えたというのです。

 

中央党は、最もメンバー数が14,695で最も多いいのですが、2018年末から230減少。

2位の改革党は、11,785ですが、3年前より661人減少。

祖国党は、430人減少し、過去3年間で千人以上連立政党を去り、主要政党の中で最も大きな損失を出しました。

対して、保守党(EKRE)は、8,849人で、過去3年間で749人増加しました。

 

同じ内容が英文で記載されております↓

Most political parties see falling membership in 2019, EKRE bucks trend | News | ERR

 

イタリアやポーランドハンガリーEU統合強化に懐疑的な勢力が政権を握り、既存の中道右派・左派の二大勢力を軸にした構図が崩れつつあります。エストニアでの保守党の躍進もこの一環のものなのではないかと...。自国第一主義の思想はエストニアまで広がっています。

 

今回のタリンで保守党勢力の異様な高まりを肌で感じることができ、国民の1票の価値ってやはり大きな力があるのだなぁ、と今更ながら痛感しました。

正直、日本の政治について興味はなかったし、知らないことばかりなんだけど(大人だしもう本当に恥ずかしいほど...)、自国の政治を早くちゃんと知らなきゃいかんと改めて思いました。エストニアで、自分の日本社会に対する知識の少なさを思い知る。

 

はぁ、がんばろ、、!

 

 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

質問、ご感想など、どんどんお待ちしております!

 

それでは、今日も良い一日をお過ごしください。

 

リトアニアとポーランドの一人旅。Vol.2

皆さま、ごきげんよう。Nakabeniです。 

 

今回は前回のカウナスの旅の続きをお話しいたします。

1月28日、朝8時起床。天気は曇り、気温は2度。

朝は昨日お会いした日本人女性の方とホステルの近くのGreen Cafeというカフェで過ごします。Monk's Bunk Hostel に宿泊された方はGreen Cafeで頼むコーヒーの種類が全て割引されます。なんて嬉しいことでしょう。

彼女とはまた午後6時に会う予定で、それまでは別行動。私は今日の深夜にカウナスを出発しますので、早速行動。今回のお目当ては杉原千畝記念館へ訪問することです。

ホステルのスタッフさんが教えてくださった散歩道を歩きながら向かいます。

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カウナスも、タルトゥのようにストリートアートが沢山あります。こちらの写真は見つけたお気に入りのストリートアート。

 

近くにある丘を登る乗り物に乗って、すぐ近くにはモダンチックな外観の教会がありました。他の記事を見て後から学びましたが、これはキリスト復活教会で、1932年から1940年にかけて建設されましたが、ソ連時代は建設工事は中断されていたそうです。

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中に入ると、ステンドグラスは5,6枚両側に張られていて、私が想像した窓の全てがステンドグラスで張られた教会とは全く違って、中はまだ新しい雰囲気が感じられます。

 

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道中、猫に出会います。ごきげんよう

そして歩くこと約30分。住宅地にひっそり建つ、杉原千畝記念館に到着しました。

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この記念館は、当時杉原千畝が実際に勤めていた旧日本領事館です。

実は、ドイツの日本人学校の6年生の時に第二次世界大戦中、杉原千畝さんの物語を伝える劇を行いました。そのため、エストニアに留学している時に訪れようと決めていました。

館内では、杉原千畝が実際に発行したビザや、第二次世界大戦中のリトアニアの情勢に関する書類が展示されています。また日本語での資料映像を鑑賞できます。

 

館長さんから、杉原千畝のことや当時のリトアニアについて丁寧に教えてくださったことを、皆さんにも共有できればなと思います。 

 

独ソ不可侵条約

1939年8月に独ソ不可侵条約ドイツのヒトラーソ連スターリンの間で締結されます。「相互不可侵」と「中立義務」を公表しています。(有効期限は10年)

しかし、これにはロシアとドイツだけの間で秘密条約が交わされていました。1945年のドイツ敗戦後になってから初めて明かされた秘密議定書で公になります。

交わされた秘密条約は4つあり、そのうち2つは

という条件でした。

(この条約を結んだ一週間後はドイツがポーランドへ侵攻し、フランスやイギリスがドイツに宣戦布告、1939年9月1日、第二次世界大戦がはじまります。杉原千畝カウナスの日本領事館領事代理に着任してから4日目の出来事です。)

 

ドイツ、ソ連によるポーランドの分割

ポーランドがドイツとソ連によって分割されるということは、ポーランドという国自体が世界地図から消えてしまい、ポーランドの国民が難民なるという意味です。

オランダは既にナチスに侵略されていたため、ナチスドイツからのユダヤ人迫害から逃れるためには、ポーランドユダヤ人は遠く離れたオランダ領のカリブ海に浮かぶ、キュラソー島へ逃げる事しか生き延びる手はありませんでした。

しかし、そこに行くには日本の通過ビザが必要でした。そのため、その時まだ中立国家(ソ連併合への移行期間中のため)であったリトアニアにある日本領事館へ赴き、ビザを発行してほしいと杉原千畝に懇願したのです。

 

杉原千畝はその返答にはすぐには対応できませんでした。なぜなら、日本は日独防共協定を結んでいたため、ビザを発行することはナチスに犯行行為をしているということになります。悩みに悩み、彼は日本通過ビザをユダヤ人に発行する決断をします。

 

命のビザ

日本の外務省からのビザを発行するか否かの返答は、もちろん「No」でした。

本国からの撤退命令も出されますが、杉原千畝ユダヤ人難民に大量のビザを発行し始めました。1940年、リトアニアソ連併合と同時に、領事館が閉鎖されます。閉鎖後、彼はホテルへ移動する道中やベルリン行きのカウナス駅でも、時間の限りユダヤ人難民たちのためにビザを発行し続けました。

 

6週間で、彼は1600のビザを彼らに発行し、6000人ものユダヤ人の命が救われました(ビザは1家族一つとされる)

 

その後、杉原千畝はビザの発行により、外交官を退任しました。

 

しかし、命のビザで救われたユダヤ人は20数年過ぎた後でも、杉原千畝を探していました。でも、外務省からの回答者は無し。

1968年、杉原千畝は当時ユダヤ人難民だった方とようやく再会することができました。

1985年、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を受賞。

そして、1986年、鎌倉にて永眠。

2000年には日本国政府から公式な杉原千畝名誉回復が発表されました。

 

「葦のようにしなやかに、杉の木のようにかたくなるな」

事実を並べてそれに堅実に従うのではなく、真実を問いただす、杉原千畝の生き方を表すのに相応しい、ユダヤ教典にある言葉です。

 

この記念館に訪問して、歴史から学ぶことはたくさんあるなぁ。としみじみ感じました。

今回はかなり長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

今日も素敵な一日をお過ごしください。

 

(いろんな質問、ご感想などもお待ちしております!)

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リトアニアとポーランドの一人旅。Vol.1

ご機嫌麗しゅう。Nakabeniです。

2月10日から新学期が始まり、現在、履修科目を考えているところです。

 

前回の私の旧友に会いにオランダに行った後、近くのベルギーのブリュッセルやドイツのデュッセルドルフに行って、当時の思い出に浸りながら1週間の旅は終了。帰りはアムステルダムSchiphol空港からタリン空港までの直行便で帰っていきました。

 

さて、今回は1月の冬休みの旅の続き。オランダからタルトゥへ帰ってきた3日後には生まれて初めての一人旅、リトアニアポーランド

12月末、先週の一週間の旅行だけだと、まだ2学期まで時間があるし暇になるのではと、とりあえずどこか一人旅をしてみたいと思って、比較的安全で興味がある国を選んだ次第です。

 

約一週間でリトアニアカウナスポーランドの都市ワルシャワ、そして帰り途中にリトアニアの都市ヴィリニュスに行って、エストニアに戻る計画でした。そして最も恐れていたことは夜行バス。移動は夜行バスに乗って朝について行動するという計画で、治安悪かったらどうしましょう。後ほど記載いたします。

 

1月27日。6時半。バスでタルトゥからラトビアのリガで途中下車。カウナスまでの乗り換えバスまで2時間あったので、それまでリガのマーケットをうろちょろ。

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今日はにわか雨。

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12:30。バスが到着。

このEcolineっていうバス、とってもおすすめ。セールになると、タルトゥからリガまでは5€(590円 2020年2月16日現在)ですし、ポーランドワルシャワまでは20€(2300円)。ISICカード(International Student Identity Card) があると、さらに毎回10%割引されます。

バスの中はアジア人私一人だけ。なんか緊張するし、怖い。

リガからさらに4時間かけて、ようやくリトアニアの第二の都市、カウナスに到着。

午後4時半。暗くなる前に予約したホステルを探します。"The Monk's Bunk Kaunas"っていうホステル。

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今は観光シーズンではないのか、私が泊まるホステルは、予約が私一人だったのですが、たまたまもう一人当日に予約が入ったみたいで、ご縁があったのか、30代くらいの日本人女性。日本から一か月間リトアニア一人旅をして、日本では東京でスパイスを販売していて、料理や調味料にとっても詳しい、とってもパワフルなお方です。

こういう出会いが勇気を出して一人旅をする醍醐味なのかしら。(生まれて初めて一人旅をした人がいう立場ではない ←)

夜6時。あたりはもう真っ暗だったので、一緒にホステルの受付の方がお勧めしてくださった場所でご飯を食べに行きます。

レストランの名前はVišta puode。日本語では「鍋に鶏肉」という意味で、看板にもそんなデザインが施されています。メイン通りにあるレストランです。 

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中はこんな感じ。カウナスの学生さんらしき女の子たちも楽しく食事を楽しんでいる姿がみられます。店員さんも優しく対応してくださいました。

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私が頼んだのはこんな感じの料理たち。まずはこちら。

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カリカリの黒パンにガーリックチーズをつけていただきます。 

パン自体にも既にガーリックの風味がしますが、これをまたディップしていただくとさらにおいしくなります。

これがリトアニアの国民的スナックみたい。正直、黒パンはあまり好きではないけれど、本当に美味でした。

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お次はこれ。ツェペリナイという料理。

ジャガイモで作った団子でお肉を包んで、飛行船の形に整えてから揚げたり茹でたりしてサワークリームと一緒にいただきます。ジャガイモ生地がもちもちしていて、日本人のお口によく合う一品だと思います。

20世紀初頭にドイツで開発されたツェッペリンという飛行船が名前の由来だそうです。このお店でいただいたものは、かなりしゃれおつなバージョン。でも、大体6€くらいだったかな。おいしゅうございました。

 

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最後はホテルのスタッフさんが勧めてくださったこのアイス。 

イチゴやチョコのアイスもあったんだけど、これはパン生地が入ったもの。

小さく砕いたパンとソフトクリームが混ざっていて、ラム酒がきいたお味。甘くなく、ちょっとほろ苦い、今まで食べた事ない味。味はうーん。美味しいといえば美味しい。

店員さんに「これもリトアニア国民的なデザートなの?」と聞いたところ、「No」と回答。いや違うんかい。 

 

夜8時頃、初日はどこにも観光せず、食後はホステルに戻って彼女とタルトゥの留学のお話や、彼女がアフリカに長い間旅をしていたことをお話など、楽しく会話をして旅行の一日目は終了。今日、このホステルに泊まっている人は私たち2人だけ。 

 

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夜10時。人っ子一人いないけど、一応メイン通り。

 貴重な一日をどこにも観光せず終わるというのはもったいないのでは...と正直思ったりしたけど、約10時間かけて、目的地にちゃんと到着できたし、とっても面白い方に会えたし、美味しい食事もできたし、十分な成果だよなぁ。 

 

旅の続きはまた後で。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

今日もよい一日をお過ごしくださいませ。 

友達に会いにオランダへ Vol.2 (EindhovenとAmsterdam編)

皆さんごきげんよう。nakabeniです。

今回はリガから飛んでオランダのアムステルダムSchiphol空港へ。

撮るのを忘れて、空港の様子の写真はないのですが。

やはりリガやタリンの空港に比べるとデカい...久しぶりにたくさん人を見た...。という印象。

友達の学生寮に泊まらせていただくため、このまま約2時間かけて、アムステルダムからアイントフォーヘン(eindhoven)へ参ります。乗ろうとしていた電車が急遽運休になってしまい、少しパニックになってしまいましたが、空港の中はwifiがつながるため、友達にアドバイスをもらいながら無事に着くことができました。

 

これからお世話になります!

彼女は、私がドイツに住んでいた頃同じ小学校に通っていた友達。今はここの大学で建築を学んでいます。翌日の朝、数少ない日本の食べ物をいただき、久しぶりにとてもおいしいお米とお味噌汁をいただき、日本を堪能。大学にはきれいなコンビニがありました。

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友達に再会1日目。とりあえずアイントフォーヘンという街を見てみる。

アイントフォーヘンは観光地ではあまり有名ではないからこそ、地元感がでていて、オランダ人をたくさん見みます(後で行ったアムステルダムは、かなり観光地化されていて、観光客の方が多く様々な言語が飛び交っているような雰囲気でした)。

 

そしてやはり自転車大国。地上にも地下にも駐輪場があり、大量の自転車が駐輪されています。まじ凄い量。自転車道路もしっかり完備されています。自転車用信号もありました。駅の中にはストリートピアノもありました。

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駅からすぐ出たところには小さなショッピング街があります。友達曰く、アイントフォーヘンはアムステルダムよりも早く新しいお店ができるらしい。最近、ドイツのデュッセルドルフで流行った日本食店もたくさん出店しているらしいです。

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ここの街で食べたシャレオツな食べ物たち。一枚目はパンケーキ、私はモッツアレラチーズとトマトにチキンが入ったもの。友達はサーモンとチーズ、ホウレンソウだったかな。おいしいよ。2枚目はフローズンヨーグルトレッドベルベットっていうケーキ。ここのカフェは、雰囲気もゆったりと洒落てて、まさにインスタ映えスポット的な雰囲気ですね。

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話した話題と言えば、大学生活、小学校の頃の懐かしい話、他のみんなは何してるんだろうか、就職など、その他もろもろ。こんな感じで二人で日が暮れるまで街を堪能しました。

夜は彼女の学生寮に戻り、映画(「ファウンダー」っていうマクドナルド経営の話)を鑑賞しておやすみなさい。

 

2日目。アムステルダム

アイントフォーヘンからは約2時間くらい電車にゆられて向かいます。

天気はまたまた晴天。今日はたまたま休日だったからか、たくさんの観光客で賑わっています。いろんな言語が聞こえてきます。これが素敵な中央駅の写真。

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私達の今日のお目当ては、とりあえずお散歩すること、The School Of Life in AmsterdamとBodyWorlds Amsterdamを見に行くことです。(後ほど記載いたします。)

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 お散歩。広場で何かデモでもしているのかしら。2枚目は友達のお気に入りのTシャツショップ。いろいろな創造的なシャツのデザインがあって、見てるだけでとっても楽しいです。

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橋からの写真。晴れの日はたくさん写真を撮っちゃいます。

 

アンネ・フランクの家の外観も見てまいりました。1942年から約2年間、ナチスの迫害から逃れるために一家など8人が隠れ家として住んでいた家です。

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そしてお次は、ついに行きたかった、The School Of Life in Amsterdamへ。

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The School Of Lifeというのは、人生の問いに関するアドバイスをする教育会社です。Self-knowledge (自己認識)、Relationships (人間関係)、Work (仕事)、Calm (精神)、 Sociability (社会性)、Leisure (休息)を主に取り上げ、時に哲学的に、わかりやすく説明しています。

私はこれを友達から聞き、興味があるものをチェックして見ていくうちに段々とハマっていきました。

こちらのお店では本やカード、などがたくさん販売しており、ほぼ毎週奥の教室でレクチャーも行われています。

私はこちらで1冊、" On confidence"という本を購入。大切にします。

 

こちらで様々な動画を鑑賞できます。↓

The School of Life - YouTube

全て英語で説明されています(しかもかなり難しい。私もあまり理解できないところがあります)。ただ、日本語のサブタイトルなどを見て、少しでも興味を持ってくれたら嬉しいです。

 

最後はBodyWorlds Amsterdamへ。

死体を化学処理し、空気に触れた状態で半永久的に保存される200以上の人体標本を展示し、構造やその精密に作られた人体の美しさなどを表現するとともに、「Happiness Project」という幸福と健康の関係性について問題提起している博物館です。

人体標本は模型ではありません。人体を標本にするためには、現在では献体ドネーション)が必要ですので、人体標本として扱ってよろしいという方にお願いして作らせてもらっているのです。

さすがはアムステルダムというべきか。本当にいろんな教育分野が詰まった都市です。

※写真を見て不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますので、ここから先はご注意ください。

 

 

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私たちの神経

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タバコを吸った人の肺。

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脳の構造

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展示は6階まであり、最短見ても2時間はかかります。

この博物館に行ってすぐ思い出したのは、日本の解剖学者、養老孟子さん「死の壁」のお話です。

機械、ロケットや飛行機、パソコンなど、割合的にとんでもないものを作っているように人間から見えますが、人体の方が遥かに複雑な構造をしていること。にもかかわらず、それを意外にもよく理解できていないということ。

作れるものは簡単なもの。壊れても、またすぐに直せるもの。よく、殺してはいけない、命を大切にしようという話がありますが、人間は一旦壊れたら機械のようにはまた戻らないという感覚が、現代社会から段々と薄れているような気がします。だから、一歩ためらいがなく、平気で乱暴に人を殺す事件がたくさんあるのではないかと。

 

生涯忘れることのできない、一生の学びになる博物館だったと思います。

 

今回は少々長めの文章になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

友達に会いにオランダへ Vol.1 (その前にリガ編。)

皆さんこんにちは。Nakabeniです。

一月は授業がないため、エストニアのNarvaやPärnuなどに行ってみたり、先週は一週間、中国語のクラスで仲良くなったエストニア人の友達とラトビアのリガ観光、そして、私がドイツに住んでいる頃に知り合った、オランダの大学に通っている友達に会いにオランダに行ってきました。一週間、彼女の寮にお邪魔させてもらい、一緒にアムステルダムやベルギーのブリュッセル、住んでいたドイツのデュッセルドルフに久しぶりに行ってきました。

 

今回はそんな旅行話をしていこうかなと思います。

1月16日 午前6:30、Tartu Coach Station に向かい、友達と合流。リガまではバスで4時間くらいで着いちゃいます。道路がすいていれば、2時間で着くこともあるらしい。

午前10:30、リガの天気は珍しく晴天。バスの停留所はリガのマーケットに近くだったので、旧市街に行く前に、マーケットを見てきました。

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マーケットはかなり大きく、建物の中も外もいろんなものが売っていました。

ラトビアの方はパン、豚肉、ピクルスを主に食べるそうで、市場にはリンゴが丸ごと酢漬けされているものもありました。

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外にも野菜や果物などが売っています。

ラトビアは4割がロシア人。そのため、マーケットでも聞こえる言語はロシア語が多い感じ。エストニアでもそうなんだけど、特に市場で聞こえる言語はロシア語が多いと思います。また、リガの最低月収が400€ (48,195円程。エストニア(600€より低い)ですので、地元の方はスーパーよりも市場で購入する方が多いようです。私が市場で買った昼用のパンはたったの75セント。

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午前11:00、荷物を置いて友達が見つけてくれた12時からの無料で参加できるガイドツアーに参加したかったので、旧市街の中にあるホステルを探します。そんな探し途中、旧市街の中で迷い込んだ私達。

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ちゃんとホステルは見つかって、急いで集合場所へ向かいます。

ガイドさんはリガ在住のラトビア人のお兄さん。まずはブレーメンの音楽隊の像。

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なぜブレーメン音楽隊の像がここに?

実は、ソ連時代、西ドイツのブレーメンからハンザ同盟都市だったリガに早く自由が来ることを願って送られたものだそうです。この4匹達が壁から顔を出す姿は、鉄のカーテンから西側を見ていることを意味しているのだそうです。ちなみに、一番高い鶏の像をタッチできると、願い事が叶うとされています。(ただしリガに限る)

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お次はこれ。ラトビアの科学アカデミー。

スターリン建築って呼ばれる、ソ連の作った建物。リガ市民にはかなり威圧的に見えるみたい。現在でも、壁にはソ連のマーク、鎌と槌が施されています。現在は展望台があって一般開放されています。

お次は自由の記念碑。

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1918年~1920年ラトビア独立戦争で亡くなった兵士に捧げられたものらしく、女神が持つ星は3つ。バルト三国を象徴しているみたいです。2枚目がフリーツアーの様子。

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あと、これがブラックヘッドハウスっていう14世紀に建てられたゴシック様式の建築物。ブラックヘッドとは、貿易商人のうち、独身男性で構成された集まりのことらしく、結婚したら追い出されたとか。空襲で1941年に崩壊されましたが、2000年に再建築しました。ちなみに、隣にある工事中の建物。博物館になる予定なんですが、もう工事から9年経っているらしい。遅。

 

そんな感じで2時間半のツアーも終了、昼食に5€の大きなピザを食べて、ホステルに一回戻って友達と2,3時間のお昼寝タイムをしたあとは、

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外に出て、シャレオツなカフェでゆったりと。

私達が泊まったホテルは、二人部屋、シャワー付きのホステル。

一泊2人で24€で、キッチンもトイレもきれい。写真は共有スペースで、紅茶も調理器具も揃ってて、とっても良かったです。

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ラトビア・リガは、人や住宅地などから感じる雰囲気から、バルト三国の中で一番ロシア色が強い印象を持ちました。綺麗なリガの旧市街から外れて、リガ国際空港へ向かう途中、バスの窓から見えた住宅地は、正直、ロシアを想像させるようなシンプルさと、ちょっと薄汚れた雰囲気がありました。

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バスを待っている途中に橋から撮った街並み。

1泊2日の女子旅。彼女はこの後、エストニアに帰って、家族が住むタリンの方へ向かうそう。とっても楽しかったです。ありがとう。私はこれから友達へ会いに、オランダへ向かいます。

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天気に恵まれ、飛行機の窓から見える景色がとっても美しかったです。

 

 

今日も最後まで拝見してくださった皆さん、ありがとうございました!