友達に会いにオランダへ Vol.1 (その前にリガ編。)
皆さんこんにちは。Nakabeniです。
一月は授業がないため、エストニアのNarvaやPärnuなどに行ってみたり、先週は一週間、中国語のクラスで仲良くなったエストニア人の友達とラトビアのリガ観光、そして、私がドイツに住んでいる頃に知り合った、オランダの大学に通っている友達に会いにオランダに行ってきました。一週間、彼女の寮にお邪魔させてもらい、一緒にアムステルダムやベルギーのブリュッセル、住んでいたドイツのデュッセルドルフに久しぶりに行ってきました。
今回はそんな旅行話をしていこうかなと思います。
1月16日 午前6:30、Tartu Coach Station に向かい、友達と合流。リガまではバスで4時間くらいで着いちゃいます。道路がすいていれば、2時間で着くこともあるらしい。
午前10:30、リガの天気は珍しく晴天。バスの停留所はリガのマーケットに近くだったので、旧市街に行く前に、マーケットを見てきました。
マーケットはかなり大きく、建物の中も外もいろんなものが売っていました。
ラトビアの方はパン、豚肉、ピクルスを主に食べるそうで、市場にはリンゴが丸ごと酢漬けされているものもありました。
外にも野菜や果物などが売っています。
ラトビアは4割がロシア人。そのため、マーケットでも聞こえる言語はロシア語が多い感じ。エストニアでもそうなんだけど、特に市場で聞こえる言語はロシア語が多いと思います。また、リガの最低月収が400€ (48,195円程。エストニア(600€より低い)ですので、地元の方はスーパーよりも市場で購入する方が多いようです。私が市場で買った昼用のパンはたったの75セント。
午前11:00、荷物を置いて友達が見つけてくれた12時からの無料で参加できるガイドツアーに参加したかったので、旧市街の中にあるホステルを探します。そんな探し途中、旧市街の中で迷い込んだ私達。
ちゃんとホステルは見つかって、急いで集合場所へ向かいます。
ガイドさんはリガ在住のラトビア人のお兄さん。まずはブレーメンの音楽隊の像。
なぜブレーメン音楽隊の像がここに?
実は、ソ連時代、西ドイツのブレーメンからハンザ同盟都市だったリガに早く自由が来ることを願って送られたものだそうです。この4匹達が壁から顔を出す姿は、鉄のカーテンから西側を見ていることを意味しているのだそうです。ちなみに、一番高い鶏の像をタッチできると、願い事が叶うとされています。(ただしリガに限る)
お次はこれ。ラトビアの科学アカデミー。
スターリン建築って呼ばれる、ソ連の作った建物。リガ市民にはかなり威圧的に見えるみたい。現在でも、壁にはソ連のマーク、鎌と槌が施されています。現在は展望台があって一般開放されています。
お次は自由の記念碑。
1918年~1920年のラトビア独立戦争で亡くなった兵士に捧げられたものらしく、女神が持つ星は3つ。バルト三国を象徴しているみたいです。2枚目がフリーツアーの様子。
あと、これがブラックヘッドハウスっていう14世紀に建てられたゴシック様式の建築物。ブラックヘッドとは、貿易商人のうち、独身男性で構成された集まりのことらしく、結婚したら追い出されたとか。空襲で1941年に崩壊されましたが、2000年に再建築しました。ちなみに、隣にある工事中の建物。博物館になる予定なんですが、もう工事から9年経っているらしい。遅。
そんな感じで2時間半のツアーも終了、昼食に5€の大きなピザを食べて、ホステルに一回戻って友達と2,3時間のお昼寝タイムをしたあとは、
外に出て、シャレオツなカフェでゆったりと。
私達が泊まったホテルは、二人部屋、シャワー付きのホステル。
一泊2人で24€で、キッチンもトイレもきれい。写真は共有スペースで、紅茶も調理器具も揃ってて、とっても良かったです。
ラトビア・リガは、人や住宅地などから感じる雰囲気から、バルト三国の中で一番ロシア色が強い印象を持ちました。綺麗なリガの旧市街から外れて、リガ国際空港へ向かう途中、バスの窓から見えた住宅地は、正直、ロシアを想像させるようなシンプルさと、ちょっと薄汚れた雰囲気がありました。
1泊2日の女子旅。彼女はこの後、エストニアに帰って、家族が住むタリンの方へ向かうそう。とっても楽しかったです。ありがとう。私はこれから友達へ会いに、オランダへ向かいます。
天気に恵まれ、飛行機の窓から見える景色がとっても美しかったです。
今日も最後まで拝見してくださった皆さん、ありがとうございました!